2023年5月。BMSG発の新ボーイズグループとして「MAZZEL(マーゼル)」が華々しくデビューしました。彼らが誕生したのは、SKY-HIが主宰するBMSGが手掛けたオーディション番組『MISSION×2』。この番組を通じて、全国から選ばれた才能あふれる若者たちが切磋琢磨し、8人のメンバーが最終的にMAZZELとして結成されました。
このグループの魅力は、単なるダンス&ボーカルの枠にとどまりません。子役として活動していたメンバー、モデル出身のメンバー、そして長年にわたってダンススクールで鍛えられてきたメンバーなど、そのバックグラウンドはまさに多彩。それぞれがまったく異なる人生経験を持ちながらも、今ここに一つのチームとして存在している。そんなストーリーがあるからこそ、MAZZELは多くの人の心を惹きつけているのかもしれません。
この記事では、そんなMAZZELの8人のメンバーそれぞれのプロフィールをはじめ、出身地や年齢、学歴、そしてダンス歴に至るまでを丁寧に整理してお届けします。推しがどんな経歴を辿ってきたのかを知ることで、もっと彼らの魅力が身近に感じられるはずです。
KAIRYU(カイリュウ)のプロフィールと経歴
韓国の大手芸能事務所で練習生経験あり──K-POPから影響を受けた原点
MAZZELの中でも、ストイックな努力家として知られるのがKAIRYU(カイリュウ)さんです。本名は大林海龍(おおばやし・かいりゅう)さん。2000年10月22日生まれ、出身は兵庫県神戸市。グループ最年長の一人であり、その落ち着きある雰囲気はパフォーマンス中にもよく表れています。
ダンスや音楽の世界に強く惹かれるようになったのは、中学時代に観たK-POPアーティストのライブがきっかけだったそうです。そのときの衝撃が、彼の中で「自分もこうなりたい」という強い思いに変わっていったという話には、素直に引き込まれてしまいます。
さらに特筆すべきなのは、韓国の大手芸能事務所で実際に半年間、練習生として過ごしていたという経歴。厳しいトレーニング環境で得た経験は、今の表現力や技術の芯にしっかりと根を張っているように感じられます。
一方で、出身中学や高校についての情報は公開されておらず、あくまで非公開のまま。ただ、本人の口からは「ダンスと音楽を軸に生きてきた」という言葉もあり、その集中力の高さが今の活動にも直結しているのかもしれません。
表情の繊細さや踊りのキレ味、どこか儚さも感じさせるステージング──すべての根っこには、K-POPという原体験と、海外での本格的なトレーニングがあったんですね。
NAOYA(ナオヤ)のプロフィールと経歴
子役・モデル・BATTLE BOYS選抜──芸能活動のキャリアが光る多才な表現者
MAZZELの中で、ひときわ華やかな芸能経歴を持っているのがNAOYA(ナオヤ)さんです。本名は紀田直哉(きだ・なおや)さん。2003年4月28日生まれで、出身地は兵庫県明石市とされています。明確な裏付けはないものの、過去の出演履歴などからそう推定されています。
芸能界との関わりは早く、小学生の頃にはすでにスターダストプロモーションに所属し、子役としての活動をスタート。ドラマやCMなどでの出演経験があり、表舞台に立つことの基礎を幼い頃から積み上げてきたタイプです。
さらに2019年には、ティーン向け雑誌「nicola」の専属メンズモデルとしての活動も開始。その爽やかなビジュアルと落ち着いた佇まいが読者の支持を集め、一躍注目の存在に。
また、スターダストが手がける若手育成プロジェクト「BATTLE BOYS」に選ばれた経歴もあります。ここでも持ち前の表現力と安定感が高く評価されていたようです。
学歴に関しては、一部で「通信制高校に通っていたのではないか」という説もありますが、正確な学校名は公表されていません。中学校についても、明石市内の公立校出身とされているものの、詳細は不明のままです。
ダンススクールに関しては情報が明かされておらず、どこで踊りの技術を培ってきたかは明らかではありません。ただ、ステージで見せる安定したパフォーマンスからは、経験に裏打ちされた基礎力を感じることができます。
キャリアの始まりが早かった分、舞台度胸や視線の使い方に独特の余裕がある。その空気感は、グループ全体のバランスを取る上でも貴重な存在となっています。
RAN(ラン)のプロフィールと経歴
「THE FIRST」からの逆転劇──熊本発・ダンスに生きる情熱系パフォーマー
しなやかな動きと力強いエネルギー。その両方を共存させながら、ダンスで物語を語れるメンバー──それがRAN(ラン)さんです。本名は古家蘭(ふるいえ・らん)さん。2002年8月23日生まれで、熊本県熊本市出身。MAZZELの中でもとりわけ“踊り”で心を動かせる表現者として注目を集めています。
実はRANさんの名前を初めて目にしたのは、SKY-HI主催のオーディション『THE FIRST』。最終審査まで進みながら惜しくもデビューを逃したものの、彼のパフォーマンスは多くの視聴者に深い印象を残しました。その後、BMSGとトレーニー契約を結び、さらなる成長の機会を掴んだという流れがあります。
5歳の頃からダンスを始めており、そのキャリアはすでに15年以上。まさに「ダンスと共に育った」と言っても過言ではありません。具体的なスクール名こそ公表されていませんが、動きの精度や表現の幅を見れば、その鍛錬の深さは一目瞭然です。
また、出身校に関しては中学・高校ともに判明しており、中学校は熊本市立西山中学校、高校は熊本鎮西高校のダンスコース。特に後者は、全国的にもダンスの名門として知られており、RANさんが本格的な指導環境で学んできたことが伺えます。
加えて、モデルとしての活動も行っており、そのバランスの取れたルックスとスタイルはファッションシーンでも存在感を発揮しています。ステージでは誰よりも熱く、カメラの前では誰よりもクール。そんなギャップもまた、RANさんの魅力のひとつなのかもしれません。
SEITO(セイト)のプロフィールと経歴
ブレイクダンス全国優勝の実力者──体幹で語るMAZZELのダンス魂
唯一無二の存在感で、舞台に立った瞬間に空気を変えてしまう──それがSEITO(セイト)さんの強みです。本名は網代聖人(あじろ・せいと)さん。2001年12月26日生まれで、兵庫県尼崎市の出身。MAZZELの中でも、ダンスという領域において“勝負”を重ねてきたタイプの表現者です。
小学4年生のときにダンスを始め、当初からブレイクダンスに取り組んできたという経歴があるのですが、彼の強さは単なる技術の高さだけに留まりません。中学生のときには全国大会で優勝という輝かしい実績も残しており、「結果を出す力」をすでに学生時代から持っていた人物なんです。
そんなSEITOさんがダンスを学んだのは、ブレイクダンスチーム「MORTAL COMBAT」のKakuさんのもと。国内外で活躍するダンサーに師事していたという背景も、彼の動きに滲み出ている説得力につながっています。細部にまで神経が行き届いたキレのあるムーブ、そして一瞬の重心移動で魅せる緩急。そこには長年の鍛錬が色濃く刻まれています。
出身高校は、兵庫県立武庫荘総合高等学校。地元・尼崎での学生生活を送りながら、自身のダンスを磨き続けてきた姿が想像できます。中学については具体名は明らかになっていないものの、尼崎市内の学校と見られているようです。
また、2018年には「男子高生ミスターコン」でモデルプレス賞を受賞した経歴もあり、ダンサーとしてだけでなく、表現者としての感性も早くから評価されてきたことが伺えます。
見る者の目を奪う圧巻のパフォーマンス。その裏にあるのは、幼い頃から真っすぐにダンスに向き合い続けてきた、ひたむきな姿勢なのかもしれません。
RYUKI(リュウキ)のプロフィールと経歴
EXPGで8年間修行──北九州が育てたバトル仕込みのハードヒッター
しっかりとした軸を保ちながら、情熱をまっすぐにぶつけてくるダンススタイル。その一歩一歩に自信がにじむRYUKI(リュウキ)さんは、まさに“現場で育ったタイプ”の実力派です。本名は前川流輝(まえかわ・りゅうき)さん。2004年10月4日生まれで、福岡県北九州市の出身です。
ダンスとの出会いは、小学3年生のとき。そこから高校1年生前までの約8年間、EXILEが展開するダンススクール「EXPG STUDIO FUKUOKA」で徹底的に基礎を叩き込まれてきたという背景があります。その長い下積み期間の中で、単なる生徒としてではなく、校内ユニットである「MTC」や「808boys」としての活動にも参加しており、ステージ経験も豊富です。
さらに、EXPGに通う以前には、福岡県北九州市小倉北区にある「スタイルフレーバー小倉本校」に在籍していたことも判明しています。この地域密着型のダンススクールでも、彼は着実に実力を蓄えてきた様子。どちらの環境でも信頼を得ていたという事実が、RYUKIさんの真面目さと向上心の強さを物語っているように感じられます。
出身中学や高校に関しては、いずれも詳細が明かされていないものの、地元・福岡県内の学校に通っていたと推測されます。学業と両立しながら長年にわたってダンス漬けの日々を過ごしていたことは想像に難くありません。
ステージでは、バトル仕込みのアグレッシブなムーブが光ります。リズムの取り方が独特で、あえて“間”を活かすような表現も得意。そうした緩急のあるパフォーマンスは、長年のダンスバトル経験で磨かれた技術に裏打ちされています。
背中で語るタイプのRYUKIさん。言葉数は少なくても、その動き一つひとつが彼の信念を物語っているように思えてなりません。
TAKUTO(タクト)のプロフィールと経歴
バックダンサーからインストラクターへ──“教える”ことで磨かれたパフォーマンス力
MAZZEL最年長メンバーの一人でありながら、常に柔らかな空気をまといながらも、その動きは芯のある鋭さを持っている。そんな独特のバランス感覚でグループを支えるのが、TAKUTO(タクト)さんです。本名は川縁拓途(かわべり・たくと)さん。1998年10月28日生まれ、東京都出身です。
ダンスとの出会いはなんと8歳。そこから今日まで、10年以上にわたってキャリアを積み重ねてきたことになります。特筆すべきは、彼が“踊る側”としてだけでなく、“教える側”としても実績を持っている点。NOAダンスアカデミーではインストラクターとして生徒を指導する立場に立ち、自らの技術と言葉でダンスの魅力を伝えていた経歴があります。
さらに、TAKUTOさんのこれまでの歩みには、数多くの著名アーティストとの共演歴も含まれています。中でも、三浦大知さんやPURIさんといったダンスに定評のあるアーティストたちと同じステージに立っていた経験は、彼の表現の幅広さを物語るエピソードのひとつ。
在籍していたダンススクールは、東京を拠点とする「ZEAL Studios」。ここで磨き上げた技術が、MAZZELでの“繋ぎの巧さ”や“安定したフォーメーション理解”につながっているように感じられます。長年の経験が、単なる技術だけでなく空間を読み取る力やチーム全体のバランス感覚に結びついているのは間違いありません。
学歴については非公開ではあるものの、通信制の学校に通っていた可能性が高いと見られています。活動の幅が広かったことを考えると、学業と並行しながら芸能・ダンス活動に全力を注いできた姿が思い浮かびます。
メンバーの中でも一歩引いて全体を見渡す立ち位置にいることが多く、その視野の広さがグループに安定感をもたらしている。年長者としての落ち着きと、柔軟な対応力を併せ持つ存在。それが、TAKUTOさんという人です。
HAYATO(ハヤト)のプロフィールと経歴
幼少期から舞台の第一線へ──ミュージカル仕込みの表現力と繊細な感性
ステージの上で繰り広げられるパフォーマンス。その一瞬一瞬に込められた細やかな感情のニュアンス。HAYATO(ハヤト)さんの動きには、まるで“演じている”ような深さがあります。本名は鈴木颯人(すずき・はやと)さん。2005年1月1日生まれの東京都出身。グループ最年少ながら、驚くほど完成された表現力を備えた存在です。
その理由は、彼の芸能キャリアの出発点にあります。なんと8歳のときに「テアトルアカデミー」に所属し、子役としての活動を開始。10歳にしてすでに初舞台を踏んでおり、以降は数々のミュージカルに主要キャストとして出演してきたという実績を持っています。
幼稚園の年長から小学校2年生までの間には、ミュージカル専門のスクールにも通っており、まさに“舞台で育った”という言い方がしっくりくる背景があります。そこから自然とダンスや歌へと活動の幅が広がっていった流れは、パフォーマンス全体を通しても明らか。動きの一つひとつに、舞台人としての呼吸が宿っているような感覚を覚えます。
ダンスのトレーニングに関しては、東京都内の「NiDアカデミー」に通っていたことが確認されています。ここでは本格的なダンス指導を受け、身体の使い方や魅せ方を徹底的に磨いてきたようです。表現の繊細さと同時に、音楽との一体感を感じさせる滑らかなムーブメントは、この環境の中で形成されていったものだと考えられます。
出身中学や高校については、現在のところ公にはされていません。ただし、東京都内の地元校に通っていたと見られており、芸能活動と並行して学業を続けていたものと推測されます。
最年少でありながら、どこか“大人びた”空気を纏っているのも特徴的です。緊張感のある場面でも怯まず、しっかりと自分の役割を全うするその姿勢には、すでに何本もの舞台を経験してきた強さが垣間見えます。
EIKI(エイキ)のプロフィールと経歴
野球一筋からパフォーマンスの世界へ──未経験からの飛躍を遂げた“努力の象徴”
MAZZELの中でも異色の経歴を持つのが、EIKI(エイキ)さんです。本名は佐野瑛宜(さの・えいき)さん。2001年12月6日生まれ、愛知県出身。野球に打ち込んでいた高校時代から一転、ダンスと歌の世界へ飛び込んだそのストーリーには、思わず胸が熱くなるものがあります。
高校時代は、至学館高校の野球部に所属。副キャプテンを務めており、チームを県大会ベスト4に導いたという実績も持っています。甲子園を目指していたかどうかは明らかになっていないものの、厳しい練習環境の中でリーダーとしての責任を背負いながら努力を続けていたという点からも、人としての芯の強さを感じます。
そして、驚くべきはその後の選択。高校卒業後、まったくの未経験からダンスとボーカルのトレーニングを始めたというのです。芸能活動のスタートが“ゼロ”からであったにもかかわらず、数ある候補者の中から選ばれ、MAZZELというステージに立っている。その過程には、他のメンバーとは違った種類の努力と覚悟があったはずです。
ダンススクール名は明かされていませんが、パフォーマンスを見る限りでは、基礎からしっかりと身につけてきたことがうかがえます。型に頼らず、感覚を研ぎ澄ませて動くスタイル。その一挙手一投足に、自分なりの“感じ方”を落とし込もうとする姿勢が滲み出ています。
中学は、地元・知立市の公立校である「竜北中学校」の出身です。高校でも野球一筋の毎日を送っていた彼が、なぜこの道を選んだのか。そのきっかけや決意の瞬間を知ることはできませんが、今、彼がMAZZELとして舞台に立っている事実こそが、すべてを物語っているように思えてなりません。
無理に派手さを出そうとはせず、しかし確実に“今できる最高”を更新し続けている──そんな等身大のひたむきさが、見る人の心をじんわりと掴んでいくのだと思います。
学歴・出身校まとめ一覧(中学・高校)
見えてきた“地元”と“育ち”──学び舎から読み解くMAZZELメンバーの足跡
パフォーマンスの裏側にある“もうひとつの軌跡”──それが、メンバーたちが過ごしてきた学校生活です。学歴は単なる肩書きではなく、その人がどんな場所で、どんな仲間と、どんな日々を積み重ねてきたのかを知るための大切な手がかりでもあります。
ここでは、これまでに判明している中学校・高校の情報をもとに、各メンバーの学びの場を整理してみましょう。
判明している学歴
- RAN(古家蘭)
・中学校:熊本市立西山中学校
・高校:熊本鎮西高校ダンスコース
ダンス名門校のバックボーンが、彼の表現の芯を支えていることがよく伝わってきます。 - SEITO(網代聖人)
・高校:兵庫県立武庫荘総合高等学校
中学の詳細は不明ながら、地元・尼崎市内の学校と見られています。 - EIKI(佐野瑛宜)
・中学校:知立市立竜北中学校
・高校:至学館高校(野球部副キャプテン)
野球を通じて培った責任感と団結力が、今のグループ活動にも活きている印象です。
地域推定・非公開の学歴
- KAIRYU(大林海龍)
・中学・高校:非公開(兵庫県神戸市出身)
詳細は明らかになっていませんが、K-POPライブがきっかけで韓国の事務所に渡ったエピソードがあることから、早くから進路に“意志”を持っていたと考えられます。 - NAOYA(紀田直哉)
・中学校:明石市内の公立中学校(具体名は非公開)
・高校:不明(通信制の可能性あり)
子役やモデルとして活動していた経歴から、学業と両立できる柔軟な環境に身を置いていた可能性が高そうです。 - RYUKI(前川流輝)
・中学校・高校:不明(福岡県内の学校と推定)
EXPGでの活動と並行していたことを考えると、ダンス中心の生活に理解ある学校環境を選んでいたのかもしれません。 - TAKUTO(川縁拓途)
・中学校・高校:非公開(通信制の可能性あり)
指導者としても活動していた背景を踏まえると、自己管理能力の高さが際立ちます。 - HAYATO(鈴木颯人)
・中学校・高校:不明(東京都内の学校と推定)
幼い頃から舞台で活躍していたことを踏まえ、芸能活動に柔軟なカリキュラムの学校を選んでいた可能性があります。
こうして見ていくと、明確に公表されているケースはごく一部に限られています。ただ、その背景にあるのはプライバシー保護への配慮でもあり、それぞれの人生の軌跡を尊重したいという事務所や本人の意思なのかもしれません。
とはいえ、出身地や活動歴といった断片からでも、彼らがどんな場所で育ち、どういう環境の中で自分の道を見つけてきたのかが、少しずつ浮かび上がってくるように感じられます。
ダンススクール一覧・特徴比較
それぞれの道場で磨かれた“感性”と“型”──技術の根っこを辿るダンスルーツ探訪
MAZZELのメンバーたちに共通しているのは、「踊ること」に対して妥協がないということ。それぞれ異なるバックグラウンドを持ちながらも、彼らが放つ動きの一つひとつに、しっかりとした基礎と、それ以上に強い“信念”のようなものが感じられます。
では、その確かな技術はどこで育まれてきたのか。ここでは、各メンバーが通っていたダンススクールの情報をまとめながら、その環境の特色や育成方針についても触れていきたいと思います。
EXPG STUDIO FUKUOKA(RYUKI)
LDHグループが運営する全国展開の大型ダンススクール
RYUKIさんが約8年間在籍していたEXPGは、EXILEや三代目JSBを擁するLDHが直営する養成機関です。FUKUOKA校を拠点に活動しつつ、「MTC」や「808boys」などのユニットに所属し、仲間と共に表現力を高め合ってきた経歴があります。
ダンスジャンルはHIPHOPやJAZZだけでなく、ボーカル・アクト指導も受けられる環境が整っており、“総合的な表現力”の土台づくりに適しています。
ZEAL Studios(TAKUTO)
アーティスト志望者からインストラクター志望者まで対応する本格派スタジオ
TAKUTOさんが長年通い、さらにはインストラクターも務めていたのが、東京を中心に展開するZEAL Studios。現場経験豊富な講師陣による指導に加え、ステージ発表の場も多く用意されており、技術だけでなく“魅せ方”まで徹底的に叩き込まれる環境です。
バックダンサー経験者が多く集まる傾向もあり、“実践で通用する表現力”を磨くには絶好の環境だといえます。
NiDアカデミー(HAYATO)
キッズからプロ志望まで幅広く対応。ミュージカル的な感性も磨ける場
HAYATOさんが通っていたNiDアカデミーは、東京都内にある表現系のスクールで、ダンスだけでなく演技や歌唱を組み合わせたトータル表現に力を入れています。
子役出身でミュージカル経験もある彼にとって、このスクールの指導方針は非常にフィットしていたはずです。動きだけでなく、“感情の乗せ方”を学べる環境が、今の表現力の厚みに繋がっています。
スタイルフレーバー小倉本校(RYUKI)
北九州を拠点に活動する地域密着型スクール
RYUKIさんがEXPG以前に通っていた「スタイルフレーバー」は、福岡県小倉に本拠を置く地元密着型のスクール。特定のジャンルに特化せず、フリースタイル的な動きを大切にする風土があり、自由な身体の使い方や自分らしさを引き出す指導が特徴的です。
基礎練習だけでなく、ダンスバトルやショーケースにも積極的で、若いうちから“現場慣れ”する機会に恵まれています。
その他(KAIRYU・RAN・SEITO など)
- KAIRYUは、韓国の大手芸能事務所にて半年間の練習生生活を経験。K-POPスタイルの基礎と規律が身体に染み込んでおり、動きの洗練度にその片鱗が見え隠れします。
- RANは5歳からダンスを始めており、熊本鎮西高校のダンスコースで本格的な指導を受けてきた経歴があります。スクール名は非公開ながら、長い経験値の中で多様なスタイルに触れてきたことが強み。
- SEITOは、ブレイクダンスチーム「MORTAL COMBAT」のKaku氏に師事。個人師弟関係に近いスタイルでの育成を経て、フリースタイル・バトルで勝負してきたタイプです。
振り返ってみると、MAZZELのメンバーたちは、いわゆる“同じ箱で育ったチーム”ではありません。それぞれ違う場所で、違う価値観に触れながら、自分だけのスタイルを育んできた。それが今、グループとしての多様性や立体感につながっているのかもしれません。
おわりに
“今ここにいる理由”を知ることで、もっと深くMAZZELを感じられるようになる
こうして一人ひとりのプロフィールを丁寧に見ていくと、MAZZELというグループの多層的な魅力が、より立体的に浮かび上がってきたように感じられます。
全員が同じスタートラインにいたわけではありません。幼い頃からステージに立っていたメンバーもいれば、学生時代は全く別の道を歩んでいたメンバーもいる。けれど、誰ひとりとして“楽をして今の場所にたどり着いた人”なんていませんでした。
共通しているのは、自分自身と真っすぐ向き合いながら、ひとつのことに打ち込んできた時間の積み重ね。それが、MAZZELという名前の下で交わったとき、個性と技術と情熱が絶妙なバランスで混ざり合い、唯一無二の輝きを放っているということ。
このレポートを通じて、「あの子って実はこんなバックグラウンドがあったんだ」とか、「推しのダンスって、そういう経験があるからこそだったんだ」と思えたなら、それはきっとこれからの応援にも深みをもたらしてくれるはずです。
MAZZELのこれからの道のりは、まだまだ始まったばかりです。でも、その“スタートラインに立つまでの物語”を知っているからこそ、きっとその一歩一歩をより一層大切に見守っていけるようになる。
そんな風に、読者のみなさんと一緒に、これからのMAZZELを応援していけたら嬉しく思います。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。